映画『メメント』の意外性について

メメント』(米 00年公開)
 *この記事は映画をご覧になっていることを前提に書いています。

  ご存知、ダークナイト・シリーズで一世を風靡したクリストファー・ノーラン監督の初期の作品です。本作では、シーンの時系列を入れ替えることでラストシーンを効果的にする手法だったり、弟ジョナサンの脚本そのものが評価されることが多いようです。しかし、本当に観客がびっくりさせられたのは(無意識にしろ)そこではなかったはずというのとちょっと。

 この映画には悪い人物が多く登場します。主人公と妻を襲った強盗、主人公の前向性健忘症を利用する刑事のテディ(マトリックスサイファーの人)、主人公の病気を嘲笑するキャシー・アン=モス(マトリックスのトリニティがこの映画では痰をカーーーーペッってしてくれます。しかもビールに入れて飲ませようとする。ご褒美。)、アンの恋人のいけ好かない男ジミーなどなど。

 しかしながら、劇中殺人を明確に実行したのはガイ・ピアース演じる主人公のみ。強盗は暴行と物盗りだけ。テディは殺人幇助が関の山というところです。それに引き換え、主人公は劇中で判明しているだけでも3名(微妙な最初の1件目を入れれば4名)も殺しており、その真相が最期に判明するわけです。

 このような真相から逆算していくと、シーンの入れ替えは単に時系列を入れ替えるものではなく、観客の主人公に対する共感や信頼を裏切るために配置されたのではないかと思えてきます。

 この映画をシーン毎に見ていると、時系列を逆転させるというよりは「病気を抱えながらも妻の敵討ちに奔走する哀れな主人公」を前の方に固めてあることが分かります。主人公の行動に疑惑が生まれるようなシーンは中盤以降にくるように配置。これでは、劇中のアン=モス同様、主人公に肩入れや共感する人も出て来てしまうでしょう。それをラスト・シーンで「最悪のサイコパス野郎は実は主人公でした〜!」とやっちゃうわけです。しかも自分の生き甲斐ある人生のために健忘症を利用して無限に探偵&殺人ゲームしちゃうぞなんて、映画史に残る徹底的なイカれっぷり。80分の同情もブチ折られるってもんです。

 入れ替えられたシーンの時系列を頭で理解するのが難しいという感想をよくみかけるこの映画なんですが、提示される順番通りシーンを追いながら主人公に対して生まれる共感・同情をラスト10分で華麗に踏み砕かれるというのが一番楽しい見方なんじゃないでしょうか。

 ちなみにコメンタリーは見てません(オチ)